最強プロモーション・心理コントロールの仕掛け人・プロデュース・ブランディング・集客コンサルティング
2008年01月30日
首の皮1枚。しぶとく生きよう。

気がつけば今年で在米20年になる。まさかこんなに長くなるとは思わなかった。日本では落ちこぼれのレッテルを貼られた不良少年だった私は、高校卒業後、バイク急便で留学費を貯めてアメリカに渡った。
成り上がりを目指して、とにかく大学時代は勉強した。大学卒業後は、サウスカロライナの田舎から、大志を抱いて、ニューヨークに渡った。ニューヨークでは出版社へ就職したが、希望の編集職にはつけず、元気がいいという理由で、広告営業部へ配属された。「やるからには一番になって見せるぞ」と希望の職には就けなかったが、寝てもさめても営業のことだけを考えていた。人間やればできる。奇跡的にも3ヵ月後には営業のトップになってしまった。社会人1年目はこんなに甘いものかと思いながらあっという間に一年が経ってしまった。
1995年というのいは、アメリカでは俗に言うインターネットベンチャー草創期。ヤフーやアマゾンなどはこの年に誕生した。
「ジョージが独立するならついていくよ」と同僚だった3人に後押しされた。もう少しサラリーマンを続けて、社会勉強をさせてもらおうかと思ったが、こんな時代はもうこないだろうと世の中の気運もあり、1995年にニューヨークで起業した。
若さに任せ、勢いと気合だけでビジネスを推し進めた。ネットバブルの追い風に乗り、最年少上場を目指し巨額の投資を集め、事業は順調に進んだ。俄かミリオネアを味わった。しかし、ネットバブルは崩壊、そして忌まわしいニューヨークを襲った同時多発テロに止めを刺され夢は終わった。巨額の借金を抱えて、従業員も信用も失い、何よりも自分自身である自信を失った。生きている意味を感じなくなった。
今だから言えるが、このアメ★ドリ創刊直後も、6ヶ月の家賃を払えず事務所は強制退去。社員は解散。ビジネスホームレスになってしまった。冗談にならないが、私が主催する異業種交流会は、毎回私の送別会だと思って泣く泣く開催していたのだ。
私の恩人は言う「人生は七転び八起き。首の皮一枚繋がっていれば何とかなる。」と。
最悪の状況は4年半続き、そのあとのリハビリにも1年かかった。長い鬱ともやっと別れを告げられたのもごく最近のことである。
ニューヨークで生き残る条件は何か―。私は「しぶとく生きる」とつくづく思った。つらい時、何度も投げ出そうとした。自殺したいと何度も考えた。しかし、日本へ帰りたいとはなぜか思わなかった。
こう言う時は、頑張ろうと思えば、余計につらくなる。だからいい加減に生きる努力をした。人に迎合することなく自分自身に素直に生きる。例えそれがお金になるようなことでも、自分では気に入らないと思ったことはしない。自分の魂に素直に生きると決めたのだ。継続していればなんとかなるものだ。それをこの数年で学んだことだった。