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2006年04月04日
[スポーツライター上村智士郎の業界人独り言] 第34回 ◆日本代表のニューカマー、佐藤寿人選手に思う。

6月に行われるドイツワールドカップに向けて、準備を進めているサッカーの日本代表。先日大分で行われた行われたエクアドルとの親善試合では、ジーコ監督になって初めて南米の代表チームに勝利した。本番では世界最強ブラジルと1次リーグで同組なので、この試合を“仮想ブラジル”と持ち上げたメディアも多くあった。確かに南米予選では、ブラジルや同じく優勝候補のアルゼンチンを破ってワールドカップ出場を決めた強豪チームの一つだから、その表現も分からないでもないが、実際に来日した顔ぶれはベストメンバーに程遠く、試合内容も守備一辺倒で仮想ブラジルにはあまりにも程遠い内容だった。時差と気候の差から、コンディション的にもまともに戦える状態ではなかったことは、想像に容易い。

だが、たとえ海外組みの召集が無かったとは言え、その相手に終盤まで無得点だった日本代表には大きな不安が残る。その試合の中で唯一と言って良いほどの光明を見出したのが、決勝点をあげた佐藤寿人だった。翌日のスポーツ新聞でも、各紙面が大きな写真入でトップで彼を扱った。熾烈なジーコジャパンのフォワード争いに、堂々名乗りをあげた“シンデレラボーイ”という扱いだ。彼は昨年のJリーグでは日本人最多得点を挙げ、今年も同じような活躍を見せている。にも関わらず、これまで注目されることが少なかったのは、彼が身長170センチとサッカー選手としては小柄なために海外の選手と対等に渡り合うことが難しいと、考えられてきたからだろう。それが今年になって日本代表に初めて召集され、少ないチャンスの中で今回のゴールを合わせて既に2ゴールを挙げる活躍を見せている。

その佐藤の活躍は一部のサッカー関係者にとって、“ようやく”という思いが強いはずだ。実は現在の24歳の佐藤は10代前半から将来を嘱望された選手だったのだ。ユースの各年代からU−22まで全てのカテゴリーで日本代表に選ばれ、多くの国際試合で日本のエースストライカーとして活躍してきた。チーム構成でも精神的にも核になる選手の一人だった。彼にとって不幸だったのは、丁度彼が高校からプロにあがる年に彼が所属していたジェフの監督が、彼の才能に見向きもせず、また選手を育てるという能力も気概もない人物だったからだ。当然のように彼には出場機会は与えられないどころか、まともな練習環境すら与えられなかった。代表に招集されると「試合に出れることより、まともなトレーニングができることがうれしい」と言って彼の言葉が私の耳に今でも鮮明に残っている。その結果ジェフでは戦力外となり、2002年はセレッソ大阪、03年と04年は仙台でいずれもレンタルでプレーし、その間、名将の誉れ高い現市原の監督のオシムからも省みられることも無く、昨年広島に移籍することなった。

そんな佐藤の才能を早くから見抜き、長きに渡って彼を支えてきたのが、現在佐藤が所属する広島の監督小野剛だ。日本がワールドカップ初出場を果たした98年フランスワールドカップで、日本代表のコーチとして岡田武史監督と支えた彼は、日本代表のコーチングスタッフとして、ユース年代の優秀な選手を長く指導してきた。その一人が佐藤だったのだ。彼は佐藤の高い評価を公言することをはばからなかった。育成年代の指導者を指導する立場でもあった小野は、早くからビデオやパソコンを使って講習を行っていたが、その彼の攻撃に関する教材のほとんどが佐藤のプレーだったほどの惚れこみようだった。だから広島に移籍した彼が今のような活躍を見せていることは小野監督にとって至極当然なことなのかもしれない。

確実に結果を出すことを要求されるフォワードというポジションで、コンスタントな活躍を見せる佐藤は、ワールドカップのポジションレースで優位に立っているかも知れない。佐藤が実際にワールドカップの舞台に立ち、活躍することができるとすれば、それは小野監督との出会い、それによって生まれた今の環境を抜きにして考えることはできないのだ。