6月下旬のライブドア社の近鉄球団買収申し入れから始まった昨年のプロ野球改革の渦は、9月18日には日本プロ野球史上初となるストライキにも発展し、日本中がその嵐に巻き込まれた。
結局、楽天とソフトバンクという2球団が誕生し、一時遡上に上っていた10球団制や1リーグ制は、机上の理論に終わった。
だが、その過程で人気回復のために様々な提案がなされていた。
あれから1年、何が変わったのだろう?
プロ野球選手会が経営側に要求する形で、プロ野球人気回復のために様々なアプローチが試みられたようだが、結局具体的な変化はセ・リーグとパ・リーグの交流戦が導入されただけだった。
短期的な金儲け主義を排し、長期的なビジョンに立って劇的な変化に自らチャレンジするせっかくのチャンスだったのだが、試合数を増やし観客の目先を変えて売上げを増やす「交流戦」だけで終わったのは非常に残念なことだ。
日本の国民的なスポーツであったプロ野球の人気の低迷が囁かれるようになったのは、今から10年余前。
93年日本初のプロサッカーリーグ“Jリーグ”のスタートの時期だ。
当時の爆発的な人気を博したJリーグに押される形、プロ野球人気に陰りが見え始めたのだ。
この時の危機は長島茂雄氏の読売ジャイアンツ監督復帰などの演出で回避したように見えたが、子供たちの競技人口が急速にサッカーに奪われ、これがやがて徐々にボディブローのように利き始める。
さらに日本のプロ野球の人気を凋落を決定付けたのは、皮肉にも野球そのもの…アメリカのメジャーリーグの存在だった。
95年野茂英雄投手に端を発した日本プロ野球からメジャーリーグへの移籍ラッシュは、読売ジャイアンツの中心打者松井秀喜選手の移籍にまで至った。
日本プロ野球の盟主を自負する巨人の4番の流出は時代の流れを象徴するできごとだった。
彼ら日本選手の移籍によって、テレビを通してとは言え、世界最高の野球“メジャーリーグ”を見ることが当たり前になった野球ファンにとって、日本のプロ野球は物足りない存在になってしまったのだ。
昨年来論議されてきた改善案の最も大きなポイントは、新人選手指名システム、ドラフトの改革だったはずだ。
本来球団間の戦力の格差を小さくするために導入されたドラフト制度だったが、現在は自由指名枠の設定などで半ば形骸化してしまっている、本場アメリカのような完全ウェーバー制(全選手、成績下位の球団から機械的に指名していくシステム)の導入が急務なはずだが、いつの間にかその議論のトーンは冷め、今年も従来通りのシステムで行われる。
8月31日、日本プロ野球選手会は独自の「日本プロ野球構造改革案」を発表した。だがその内容を見る限り、昨年のストライキまで選択した時の勢いは感じられない。
将来的ビジョンは空回りし、選手会が自分たちの権利を拡充するためだけに経営側と妥協を繰り返した跡が見えるだけだ。
この夏以降、かつてテレビ局にとって“ドル箱”だった巨人戦はすっかりお荷物になったようだ。プライムタイムでの放送のボーダーラインである視聴率10%を切ることが当たり前になり、ついに深夜での録画放送に踏み切る局も現れた。
この状況は来年の放映権の契約に大きな影響を及ぼすだろう。
それは最終的に選手たちの年棒に響いてくることも忘れてはいけない。
一方、広告代理店やメディア関係者を入社させ、斬新なアイデアで人気獲得を進めている千葉ロッテマリーンズのように、一部では自浄作用が始まっている。
日本のプロ野球が、スポーツの枠を超え娯楽の殿堂だった時代が戻ってくるのか?
いずれにしてもその鍵はプロ野球関係者自身が握っているはずだ。
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●上村智士郎 さん●
Jリーグチームの応援番組の演出や、CS放送のサッカー中継のディレターを手がける一方、サッカー 専門誌をはじめ各種スポーツ雑誌、スポーツ紙、インターネットサイトに記事を掲載。またスポーツ系インターネットサイトや選手のホームページのプロデュースも行う。現在は女性向けスポーツ情報フリーペーパー「ABUSOLUTELY SPORTS」をプロデュース。
S.blend Inc 代表取締役
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