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2007年01月18日
[スポーツライター上村智士郎の業界人独り言] 第55回 ◆箱根駅伝と日本長距離の低迷

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
今年一年、このコラムをお読み頂いている皆さんのご多幸をお祈りいたします。

年末年始はスポーツ盛りだくさんの毎日で、皆さんの中にも競技場やテレビでスポーツに接した方も多いと思うう。中でも毎年1月2日、3日に東京−箱根間で行われる行われる箱根駅伝は正月の風物詩、国民的行事と言っても過言ではないほどの注目を浴びるようになった。今年で83回を迎えた歴史の中で数々のドラマを生み今年も大きな注目を集めた。別に日本一を争うわけでもなく、たかが大学のしかも関東の大学20校だけで争われるこの駅伝大会がこれだけ注目を浴び、あたかも国民的行事のようになったのはいつの頃からだっただろうか? 確かに昔から人気があったのは事実だが、私が学生の頃はこれほどの話題性は無かったのは間違いないと思う。

これだけ注目される大会だから選手も監督、コーチも並々ならぬ意気込みでこの大会に臨み、テレビのインタビューを見る限り、選手たちはこの大会を一年間の目標してきたと口にすることを憚らない。こういう状況では、有望な高校生たちもこぞって箱根駅伝の常連大学に進学を希望しているのだろう。しかも大学にとって冬の時代だけに、格好の大学の宣伝の場となるこの大会で活躍する可能性の選手たちを見逃すはずもない。その結果、東京六大学初めとする伝統校に代わって、ここ20年くらいの間に新設された大学の名前がテレビの放送で連呼され、すっかりお馴染みになった大学もある。さらにこうした箱根駅伝人気にあやかって、秋から行われている大学駅伝、出雲駅伝も箱根駅伝と併せ大学三大駅伝として注目されるようになってきている。いずれもテレビ局の思惑に大きく関わっていることは言うまでない。

だが、こうして大学駅伝、特に箱根駅伝に注目が高まるのに比例して、日本の長距離、特に一時は日本のお家芸とまで言われた男子マラソンが弱体化しているように思えるのは錯覚だろうか?
かつて日本の男子マラソンは数々の名選手を世界に送り出してきた。東京オリンピックで3位になった円谷から始まり君原、宇佐美、瀬古、宋兄弟、中山、谷口、そして92年バルセロナ五輪の銀メダル森下。この後低迷の続いた日本マラソン界で久しぶりに光明が見えたのは、更に2004年のアテネ五輪で5位入賞を果たした油谷と、日本記録を塗り替え、2005年の世界選手権で4位になった高岡の存在だった。
こうして見ていくと近年の大学駅伝ブームと90年代前半から21世紀に続く日本の男子マラソンの低迷の時期が重なるのが分かる。しかも僅かな光明と言える油谷は大学に進学せず高校からそのまま社会人入りしたし、高岡は龍谷大学という箱根駅伝とは縁の無い大学で5000メートルなどトラックレースに専念していた。

日本の男子の長距離選手の育成は大学に拠るところが大きい。そして18歳から22歳という肉体、精神にともに最も伸び盛りの時期を大学生ランナーとして過ごすわけだから、その後の影響も大きい。だがこの大切な時期に4年間を正月の箱根駅伝を目標に過ごしていたらどんな選手なるのだろうか? 走るということは同じでも、体が完成される大切な年齢で箱根駅伝で勝つことだけを目標に“育成”された選手の目には、例えば長距離競技の基礎となるトラックレースはどのように映っているのだろうか? 道の両脇に大観衆が詰め掛けた箱根路で歓声を浴びることを夢見ている選手たちにとって、注目されることのほとんどないトラックレースはつまらないものであるに違いない。それは恐らく指導者にとっても同じことだ。
そして、駅伝が日本だけのローカル競技だということも忘れてはいけない。

80年代後半以降、将来日本の長距離界を背負って立つと言われた数々のランナーが箱根路を走り、そして消えていった。一方、社会人では上記にあげたような世界的なランナーたちが指導者となり、国際舞台で通用するランナーを育てるべき様々な努力をしている。こうした努力が、男子とは違って高校卒業後そのまま社会人で競技を続けることが主流となっている女子の長距離では、華々しい結果として現れている。

駅伝競技は日本人の心理に合っているし、それだからこそ長距離という地味な競技の競技人口を広げるには大きな貢献を果たしているだろう。だが、それは諸刃の剣なのではないか? 久しぶり家で過ごした今年の正月、テレビを見ながらそんなことを考えてみた。