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2006年11月29日
[スポーツライター上村智士郎の業界人独り言] 第51回 ◆城彰二の引退に贈る。

23日、元サッカー日本代表の城彰二が引退を発表した。彼の所属する横浜FCは、今シーズンJ1昇格を目指してJ2の首位争いを続けていて、そうした中まだ二試合を残して、ホームゲームの終了後自らがサポーターの前でマイクを持って発表した。

城は高校サッカーの名門鹿児島実業高校の出身で、3年の時にエースストライカー兼主将として、正月の高校選手権でベスト4になった。そして卒業後ジェフユナイテッド市原に入団した。Jリーグがスタートして2年目の94年のことである。彼と同期には現在も日本代表の守護神として君臨する川口能活がいる。

だが城は、はっきり言って、シーズン開幕まではそれほど注目されてはいなかった。だが開幕に向けてフォワードの負傷が相次ぎ、彼に開幕スタメンというチャンスが巡ってきたのだ。このルーキーの年の開幕スタメンという一生に一度のチャンスでいきなりゴールを決め、彼への注目が一気に高まった。さらにその後の3試合で連続ゴールをあげたのだ。高卒ルーキーの開幕4試合連続ゴールは、スポーツのトップニュースを飾り、城は人気絶頂期のJリーグにあって一躍ニューヒーローとなった。

その後もジェフの若きストライカーとして活躍。4年目には横浜マリノスに移籍して、さらに活躍は続いた。日本代表でも、96年には28年ぶりに日本が出場したアトランタオリンピックのメンバーに選ばれ、さらにその2年後には日本が初めて出場したフランスワールドカップで、中山雅史ともに日本の2トップを務めた。この大会ではチームが3連敗に終わりに無得点の城が戦犯として扱われたが、彼がJリーグがスタートして急速に世界スタンダード近づいた日本のサッカー界の中心的存在の一人だったことは間違いない。

サッカー選手のご他聞にもれず城もまた海外志向が強く、ワールドカップの翌年99年のシーズンが終わるとスペインのバリャドリードというチームに移籍。15試合に出場したが2ゴールに終わり、怪我のせいもあって契約は延長されず、約半年でマリノスに復帰した。順調に上り続けてきた彼のサッカーキャリアに急激に影が見え始めたのは、このスペイン移籍からだった。ワールドカップがあった98年には自己最高のシーズン25ゴール、移籍直前の99年には18ゴールをあげたが、Jリーグ復帰後は03年に現在所属するJ2の横浜FCに移籍するまでの3年間で、通算5ゴールしかあげることができなかった。
横浜FCでは下位リーグのJ2ということもあって、コンスタントに10ゴール前後をあげてはいたが、Jリーグ歴代4位のJ1通算95ゴールをあげ、しかも彼がまだ20代後半だったことを考えると、そのプレーはさびしい限りだった。

実は私はJリーグ開幕からジェフユナイテッドの応援番組や、このチームを中心として中継番組を作っていたので、彼とはデビュー以来交流ががあった。彼のデビューの年の開幕4試合連続ゴールも間近で見ていた。特に4試合目となった3月下旬の大雨の冷え込む平塚競技場でのベルマール平塚戦で見せた、彼の鬼気迫るプレーにはとんでも無い選手が登場したものだと、心から感心したものだった。だが私が彼についての好印象はここまでだった。

この試合のあと、その年の高校選手権の優秀選手で編成される高校選抜チームでの欧州遠征から戻った城は、全く別人になっていた。プレーをしながら常に髪型を気にするようになり、やたらパフォーマンスをするようになった。また徐々にマスコミの喜ぶ気の利いたセリフを吐くようになっていった。

そして彼は私の取材を拒否をしたり避けるようになった。原因は私が遠慮なく彼の問題点を突くからで、それに答えに困った彼は仕返しとでも思ったのか、余程のことが無い限り私の取材に答えなくなったのだ。その頃はJリーグのことを書けば何でも記事なった時代だったから、そのことが「城、地元応援番組の取材を拒否する」とスポーツ新聞の記事にもなったことあった。

そんな城と私の関係だが、たった一度だけ心からお互いにしっかりと手を握って握手をしたことがあった。それはアトランタオリンピックの予選で、彼が予選突破に大きく貢献するゴールあげて帰国した時のことだ。共同記者会見の会場となった成田にあるホテルの宴会場前のホールで、「やったな!」と私が差し出した右手を彼はしっかりと握り、そして空いた左腕を私の肩に回して深く頷いた。今から10年以上前の出来事だ。

時は流れその城が引退する。ジェフを離れた後の城とはほとんど話をすることは無かった。横浜FCに移籍してからも、調子が悪い時はいつの間にか姿を消してしまう彼を、私は敢えて追いかけることも無かったからだが、たまたま話をした機会に、高校時代に痛めた左膝の傷のせいでもう限界に近いということ話をしていた。たぶんもう3年位前の話だったと思う。

昨シーズンから城と一緒にプレーしている“カズ”こと三浦知良は39歳にして未だに現役にこだわっている。満身創痍の体に鞭を打って、これからもゴールを狙い続けるらしい。間違いなくそこにはカズなりの美学が存在する。それに対して城の31歳での引退への決意、しかもシーズンを残しての引退発表は、それもまた“いい格好しい”の城なりの美学があってのことだろう。そんな彼にまずは「お疲れ様」の言葉を贈りたい。

城が引退を発表した次の試合。11月26日の試合で横浜FCは99年にチーム創設以来悲願だったJ1昇格を決めた。そして城はこの試合もカズともに先発出場し90分間プレーした。彼にとって高校卒業以来Jリーグ13年目、今シーズン45試合目のことだった。残るは12月2日の最終節1試合だ。