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2006年10月31日
[スポーツライター上村智士郎の業界人独り言] 第47回 ◆日本シリーズの中継を見て思ったこと。

先週、北海道日本ハムの日本シリーズ優勝のシーンをどれくらいの方がご覧になっただろうか?
念願の22年ぶりの優勝、すっかり北海道の球団として定着したこのチームの地元札幌での優勝を決めたこの試合は、時代の寵児となった新庄剛の引退試合にもなった。

そんな試合を中継した民放局の試合終盤の映像を皆さんは記憶しているだろうか? 最終回外野で守る新庄を何度と無く映像で捉えその表情を伝えようとするが、スイッチングミスを繰り返しせっかくのシーンを興ざめにした上に、新庄と2年目のダルグリッシュとのカットバックを繰り返す。新庄、この日の先発投手で次代のヒーローとなるべきダルグリッシュを関連付ける意図は分からないでもないが、一度でたくさんだろう。なぜなら常日頃ファンとチームメイトのお陰だと公言してきた新庄と表情を重ねるべき選手は他にもたくさんいるからだ。そう言えば、もう一人のヒーロー、ヒルマン監督の表情も全くと言って見ることはできなかった。

8回の裏には新庄に最後の打席が回ってきた。涙でボールが見えなかったと試合後語り、渾身のスイングで三振に倒れた彼の生涯最後の打席。テレビの映像は彼がバッターボックスを離れるや否や、三振の瞬間の姿をスローVTRで映し出した。そしてそのスローVTRがリアルタイムの映像に戻った時、新庄は既にベンチに戻っていた。彼がどのようにバッターボックスを去り、スタンドにどのように表情を送ったのか、ベンチの監督やチームメイトにどんな風に近づいたのか、そしてチームメイトたちはどのようにその新庄を迎えたのか、そんなシーンを伝える機会は二度とやって来なかった。たぶんこの番組のスタッフはそうした瞬間に何の価値も見出せないのだろう。

更にこの番組は新庄引退、日本ハムの日本一という中継を、ゲストの巨人の上原投手の来年への抱負で締めくくった。巨人ファン、上原ファンは喜ぶだろうが、番組の構成としては最悪である。そうならないために、通常ゲストには早めにしめてもらうのが常道だ。

そうでなくても、アナウンサーが理由もないところでがなり立て、意味の無い枕言葉でせっかくのシーンを台無するのが、この番組の限らず今のスポーツ中継では常となっている。一体、実況アナウンサーは何を考えているのか? サッカーファンの中には、テレビの音を絞りお気に入りの音楽をかけながらサッカー中継を見ている人が多いと聞くが、その理由はこの辺りにあるのだろう。かく言う私自身も仕事で見る以外の時は、このスタイルである。

アナウンサーの意味不明の枕言葉、場にそぐわない抑揚はどこから始まったか? おそらく、古舘伊知郎氏のF1中継(とは言っても当時は全て録画だったが)がその起原だろう。今からおよそ15年前。まだ日本人にとってF1が未知のスポーツだった時代に、彼の独特の言い回しはなぜか耳に心地よく響いた。そしてそれはモータースポーツ中継の代名詞となり、一時代を築いた。確かにあの時代、日本人のF1に関する知識のレベルを考えれば、あれはあれでよかったのだと思う。だが彼以降F1中継、モータースポーツ中継以外にも彼のスタイルを真似るアナウンサーが次々と現れたから、聞かされる方はたまったものではない。大体古舘氏の場合は多くのコピーライターや構成作家をスタッフとして抱え、プロジェクトであうした表現を創り上げているのだから、個人で準備のしなくてはならないテレビ局のアナウンサーに同じことができるわけがないのだ。

現在のF1中継は、永井大や山田優と言ったタレントを使っている。一時に比べ若者のF1人気に陰りが見えていたからそれそれで正解だろう。だが、その中継のメインとなるアナウンサーがまた心もとない。本来放送のプロフェッショナルとして中継の芯になるべきアナウンサーが、間違った発言、場違いのコメントで、解説者に揶揄されることが再三だ。そのくせ番組の冒頭やスタート前には、時間をかけて用意しただろう興ざめの長台詞を謳いあげる。現場の様子や映像など見ずに、自己陶酔に浸っている姿が目に浮かぶ。
F1を放送しているテレビ局の上層部は、この辺りを心得ているのか、同じ局のCS枠での中継ではベテランの解説陣がどっしりとプロのトークを繰り広げている。ただここでも局アナが解説者に指導を仰いでしまっている状況は変わらないのだが…。

日本シリーズとほぼ同時進行で行われたメジャーリーグのワールドシリーズ。今年もBSで生放送があった。ここには最近までメジャーリーグでプレーしていたOBが解説者として登場し、経験者ならではの意味深いトークを繰り広げていた。私が1試合通して見たのは第2戦だけだったが、この試合はメジャーリーグで9年間プレーした元投手の長谷川滋利氏と、現役メジャーリーガーで、今年ロサンジェルス・ドジャースの守護神として活躍した斉藤投手がゲストで出演していた。さすが理論派でならす長谷川氏だけに、経験に裏付けされた論理展開はメジャーリーグの魅力を存分に引き出していた。また経験者ならでは話も満載だった。
例えば、カージナルスのホーム、セントルイスの気候の話では、斉藤投手のドジャースがホームにしているロサンジェルスや長谷川氏が長く所属したマリナーズの地元シアトルでは、長い遠征の後地元に帰ると投手は疲労から回復するのだが、高温多湿のセントルイスのような気候だと逆に投手は疲労が蓄積すると言った話。地元に帰れば休めると思っている日本人にとって全く想像もできないことで、アメリカの広さを経験した者ならではのトリビアだ。だが、こうした経験値に裏付けられた解説をしてくれる人物は日本のプロ野球でも少ないのは残念だ。

現在サッカー解説者で活躍している武田修宏氏が、引退して解説者として仕事を始めた頃、自分の解説について感想を求められたことがある。その際、俯瞰した理論も良いが現役経験者だけが知る感覚や精神的なことをタイムリーに語ってほしい話をしたが、私の言葉を覚えているのかどうかは分からないが、今も彼の解説は経験者ならではの独特の感覚を感じさせてくれているのは嬉しい。見ている人の満足感を引き出すにはもう一工夫必要なのも事実だが。

そんな風に偉そうに書いてきた私がプロデューサーをしているサッカー中継の現場も、それほど状況は変わらない。仕事をきっかけにサッカーに出会って5、6年のアナウンサーが一人前に解説者張りのコメントを吐き、時には十年以上トップレベルで

プレーしたOB解説者のコメントを平気で否定する。そう言った場面では大概解説者の方が精神的に大人なのでアナウンサーの意見がまかり通ってしまって、更に状況を悪くするのだ。可哀想なのは視聴者で、素人の妄想をプロのコメントと思い込まされているのが、どういうわけかそんなアナウンサーに限って視聴者からはカリスマ的扱いを受ける。残念ながら彼のようなアナウンサーはキャスティングを左右することの無い、私のような現場プロデューサーの意見など聞くわけもなく、一方でキャスティングをするTV局のプロデューサーの方はというと、ほとんど一般視聴者とレベルが変わらないというが現実だ。
日本のスポーツ中継が今後どんな風になっていくのかを考えると末恐ろしいが、確かなことは、視聴者一人ひとりが情報の正誤を正しく精査する眼力を持たなくいけないということだ。これは今の時代、全てに通ずることだろうが。