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2006年10月24日
[スポーツライター上村智士郎の業界人独り言] 第46回 ◆松井やイチローがいなくても…。

日本でも中日ドラゴンズと北海道日本ハムファイターズの間で日本シリーズが行われているが、アメリカではセントルイス・カーディナルスとデトロイト・タイガースという伝統のある人気チーム同士の対戦でワールドシリーズが行われている。日本では松井秀喜がプレーするニューヨーク・ヤンキースがプレーオフで敗退したために注目度は一気に落ちてしまったが、カーディナルスには田口壮という日本選手がいて、日本人としては初めての二度目のワールドシリーズにチャレンジしている。

田口壮はイチロー、松井秀樹らと言った日本での華々しい経歴を背景にメジャー入りした選手ではない。92年に関西大学から内野手としてオリックスに入団。その後外野手に転向して勝負強いバッティングと5度のゴールデングラブに輝いた高い守備力でイチローらともにオリックスの黄金期を支えた。特にその強肩ぶりはメジャーリーグ入り後“レーザービーム”と賞賛されているイチローが脱帽するほどだった。また2000年には松坂大介らとともに日本代表としてシドニーオリンピックに出場している。

そんな田口がフリーエージェントでアメリカに渡りカーディナルスに入団したのは、オリックス時代のチームメイトだったイチローが渡米した翌年の02年。だがその境遇は元チームメイトとは雲泥の差があった。開幕からの日本で言う二軍にあたるマイナーリーグ生活が続きこの年のメジャー出場は47試合に終わった。翌年も状況は変わらずメジャー出場は31試合。その状況が一変したのは3年目の94年。開幕戦のメンバーにも選ばれ100試合以上に出場し、チームのワールドシリーズ出場にも貢献した。この時はチームが4連敗を喫し、自身も4打数1安打と、田口にとって悔しさの残るワールドシリーズになった。

田口は37歳になった今年も先発出場、代打、守備固めと監督の要求に応えて何でもこなす。外野も内野も守れるユーティリティプレーヤーでもある。そんな起用にも田口自身は「それが自分が与えられて仕事だから精一杯やるだけです」と常に謙虚にプレーで応える。

今回のポストシーズン(プレーオフ)でも先発出場の機会は一度も無かった。だがホームラン2本を含む打率10割と大活躍で持ち前の勝負強さを遺憾なく発揮して存在回をアピールした。。特にナショナルリーグ優勝決定シリーズの第2戦、9回に放った勝ち越しホームランはシリーズの流れを変え、カージナルスのワールドシリーズ出場に向けて大きなきっかけになった。

10月21日(日本時間)にはワールドシリーズの第1戦が行われ、その田口が先発出場を果たした。第1打席から田口らしい、自分を捨ててランナーの進塁を助けるバッティングで追加点をお膳立てするなど活躍。4打数1安打でチームの勝利に貢献し、自身2度目のワールドシリーズ優勝に目指して黙々と自分の役割を果たしている。残念ながら、このコラムを書いている22日に行われた第2戦ではカーディナルスが破れ、田口に出場の機会は回ってこなかった。だが彼にとっても我々にとってもその分このワールドシリーズを楽しめる時間が長くなったということだ。

背番号99。田口壮。37歳。カーディナルス赤い鳥を配した大胆なデザインのユニホームが不思議に似合うこの男は、このユニホームを着た5年目のシーズンを最高の舞台で終える。移り変わりの激しいメジャーリーグで、中軸プレーヤーでもないベテランの彼が一つのチームでプレーし続け、ワールドシリーズのような大舞台に立てる理由は、野球に対する真摯な姿勢やその人柄が多くの人から指示されているからに他ならない。そんな田口に日本からも応援を送ろう。