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2006年10月03日
[スポーツライター上村智士郎の業界人独り言] 第43回 ◆ドラフトが創るドラマ

23日プロ野球の高校生ドラフトが行われた。指名された高校生たちのほとんどが読み上げられる自分の名前を笑顔で聞いた中、ただ一人苦悩の表情を見せた少年がいた。千葉ロッテに指名された沖縄県八重山商工の大嶺祐太投手だ。

ここ十年の最大の豊作と言われている今年の高校生の中でも大嶺投手は屈指の逸材で、多くの球団が注目してきた。その魅力は高校生ながら150キロに近い速球を投げ込む右腕だろう。その彼はソフトバンクの入団を希望して、ソフトバンクもそのつもりだった。その意思は固く他の球団から指名された場合は浪人するか社会人にする意向を明確にしている。そのため他の球団は手のひいたがただひとつだけ諦めなかった球団があった。それが千葉ロッテだ。千葉ロッテは彼を指名し、同様に指名したソフトバンクとのくじ引きの結果、千葉ロッテが入団交渉権を得た。

1965年から始まった日本のドラフトは12球団の戦力、人気の均衡化を狙い、先駆者アメリカのシステムに習って導入されたものだ。元々はその年の成績の悪かったチームから、順番にほしい選手を指名し入団交渉権を得るというものだった。メジャーリーグをはじめアメリカの4大プロスポーツでは、ウェーバー制と呼ばれるこの形で現在もドラフトが行われている。だが日本のドラフトはどんどん形骸化している。まずは指名選手が複数のチームに重複した場合、抽選を行うところで、元々あった戦力の均衡化という根拠を失った。1993年以降は最近では大学、社会人の選手が入団したいチームを指名できるという逆指名(→自由獲得枠→現希望入団枠)が制定され、各チーム2名までがこの方法で入団している。これでは、当然人気チーム、資金的に余裕のあるチームに選手が集まるという状況を変えることはできない。

そんな日本のドラフト制度が、数々のドラマを生んだ。最も大きなドラマは、今は巨人のOBとして解説など活躍する江川卓氏をめぐる“空白の一日”で有名な“江川事件”だろう。1973年作新学院のエースとして活躍していた江川は“怪物”の異名をほしいままにし、その年のドラフトの超目玉だった。抽選の結果、交渉権を得たのは阪急(現オリックス)だった。巨人入団を望んでいた江川はこれを拒否し法政大学に進み、4年後の望みをかけた。それでも今のような選手側に逆指名権の無い当時はやはり球団の意思と運に身を任せるしかなかった。そして大学卒業時1977年に江川の交渉権を得たのはクラウンライター(現西武)。江川はこれをまたも拒否して浪人を選ぶ。そしてその翌年のドラフトの前日に事件は起った。野球協約の、前年の球団が得た交渉権の期限と翌年のドラフト開催日の間の空白、世に言う“空白の一日”をついて、巨人が江川との契約を発表したのだ。結局プロ野球機構はこれを無効として巨人欠席のままドラフトを実施。交渉権を得た阪神に一端は入団した江川が、トレードによって巨人に入団するという救済処置が採られた。この時新人の江川と1対1のトレードに出されたのが、当時の巨人のエース小林繁だった。

これ以外にも悲喜こもごも色々な事件が起こってきた。最近、桑田の巨人退団騒動で頻繁に画面に映るようになった、1985年の清原の涙の記者会見もその一つだ。こうしたドラマ創るのがドラフト制度だ。このように選手側に選ぶ権利を与えないのは職業の選択という人権に反しているという声に生まれた逆指名だが、人権を理由にするのであれば全ての選手に同様の権利を与えなければ、全てに平等に与えられるべき基本的人権が更に侵されていることになる。このように考えるとドラフト制度自体を撤廃しなければならない。

私はこのドラフト制度はこの市場経済の中で、プロスポーツを維持していく上での必要悪だと考えている。日本よりも遥かに人権にナーバスなアメリカで行われている4大スポーツが、長年に渡ってこのシステムを続けているのは、球団も観客も選手も、プロスポーツが反映するためにこのシステムが必要であることを知っているからだろう。メジャーリーグを例にあげると、松井秀喜の所属するニューヨークヤンキースの全選手の総年棒は、最も少ないチームの3倍になるという。だが野球は一つのチームだけではできない。相手があってこそゲームができるのだし、相手と競い合って観る価値ある。このためにメジャーリーグではチームの総年棒を制限するサラリーキャップ制などドラフト以外にもチーム力の均衡化を図るための様々の工夫がされている。

日本のプロ野球の場合、幸いアメリカほどの球団間の経済格差は生まれていない。しかも球団の財政がそのままチーム力に反映しないのも、日本のプロ野球の特徴だろう。最も経済的に恵まれた巨人の体たらくを見ればよく分かる。また今年パ・リーグで1位でレギュラーシーズンを終えた北海道日本ハムが、逆の例だろう。
20年ぶりの栄冠にはくした北海道日本ハムには巨人や西武のような高年棒のスーパースターはいない。派手なパフォーマンスで目立つが新庄とてヒルマン監督の全員野球の駒の一つだ。その優勝の祝賀会の中、今年に2年目で12勝を上げエース級の働きをしたダルグリッシュの喜びの表情が印象的だった。彼も甲子園を沸かせたアイドル選手の一人。一昨年のドラフトで北海道日本ハムの指名を受け入団することになったが、必ずしも彼の希望球団だったわけではない。だがこのチームの選手になることを受け入れたからこそ、この喜びと栄冠を享受することができたのだ。2年前が彼がこの球団を選択した時、誰が今年の北海道日本ハムの優勝を予想しただろうか。

人は人生の中でいくつかのターニングポイントを迎える。八重山高校大嶺投手はまさにそのターニングポイントに立っている。だが今の感情に流され、自分が与えられたトップフィールドの身を置くチャンスを拒んだとしたら、彼のアスリートしての人生にプラスの要因をもたらすものは何も無いだろう。