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2006年09月05日
[スポーツライター上村智士郎の業界人独り言] 第39回 ◆オリンピック候補地東京を考える

8月30日、2016年に開催されるオリンピックの国内候補地が東京に決まった。候補地レースに敗れた山崎福岡市長と石原都知事の舌戦が注目されたお陰でご存知の方も多いと思う。
これまでもこのコラムに書かせてもらっている通り、私は予ねてから東京オリンピックの開催には疑問を持っている。東京に限ったことではない。日本でオリンピックを開催することの意義を分からないのだ。

東京都はこの五輪開催のために4000億円を用意するという。もちろんこの金額でオリンピックが開けるわけはない。やり方によっては、これから2009年まで世界の国際的な都市と繰り広げる招致合戦だけで、これくらいお金は消し飛んでしまうだろう。国からも、法的支援に加え、財政的な支援が不可欠なはずだ。だからこそ石原都知事が、東京都が候補地にきまった途端に小泉首相と安倍官房長官の元に駆けつけたのだ。

さて、このオリンピックの東京都開催に向けて、私が思う疑問は次の三点である。

その一つ目はその決定の手法である。
今回、そしてこれまでもそうだったが、五輪候補地は、ひとつのスポーツに関する団体である日本オリンピック委員会(JOC)と、開催を希望する都市(東京は都市ではないが…)の間で決められている。それはあたかも毎回オリンピック候補地を日本から出し開催を目指すことが決められているかのようだ。だがそれは誤りだ。
オリンピックの開催は、先にも書いたように法的にも財政的にもそして国際社会への訴求も含めて国家的プロジェクトになる。であれば、最初に2016年に日本でのオリンピック開催を目指すかどうか、それを国会など国レベルで論議する必要があるのではないだろうか? その結果開催の意義、方向性が決まったら、次に候補都市選びである。その選考もJOCだけでなく、もっと広い見地で判断されるべきだろう。もしそうでないのなら、既存法の範囲でJOCと開催都市の持っている予算で開催すればいいのだ。石原都知事と安部官房長官と話し合われたという担当大臣を置くなどというのは言語道断である。

次は10年後の日本において五輪の開催がどのような意味を持つかである。
オリンピック開催には多額の資金が必要となる。最も大きなものは施設の整備建設だが、ほとんどの場合は公共事業として行われる。その財源はどこから? 東京都は臨時都債を発行してまた借金を積み上げるのだろうか? 国にしても同じである。借金だらけの国家予算のどこにスポーツ大会につぎ込むお金があるのだろうか? その予算があるならもっと他に使うべきところがあるはずだ。もちろん経済波及効果もあるだろう。だがその恩恵の多くを受けるのは誰か? 1969年の東京オリンピックはその後の岩戸景気を呼ばれる好景気を生み、日本の生活水準を引き上げた。だが今回の場合の効果は? "格差"をさらに広げるだけではないか。一方近年のオリンピックは巨額の放映権などの影響もあり巨額の利益を生んでいる。だがそれはあくまでも主催者であるIOC(国際オリンピック委員会)やJOCレベルの話だ。一部は開催地にも分配されているが、国や自治体が投じた費用をこの利益で充当することを条件になどすれば、開催地に選ばれる可能性はない。

最後はもっと開催すべき場所はあるのではないかということだ。
これは2012年の開催がロンドンに決まった時にも書いたことだが、オリンピックをいわゆる先進国の大都市で開催する意義はどこにあるのだろう? 前回の東京オリンピックがその後の日本躍進のきっかけになったように、ソウルオリンピックがその後の国際化に礎になったように、広い意味でオリンピックの開催を必要としている国、地域はたくさんあるはずだ。例えば内戦が多発している中央アフリカの国々で、国連と手を組み、複数の国での共催はどうだろうか? もちろんその国々には必要とされる資金があるはずはない。そこに日本をはじめ可能な国々が資金援助をすればいいのだ。"植民地政策的"な方法として批判もあるだろうが、内戦を抑止しそこに住み人々の生活水準を引き上げるきっかけになることは間違いない。

候補地の分析が進むにつれ、各会場候補地がその競技に適さないことが次々と明らかになっている。このことは取りも直さず、オリンピック開催地の選考でありながらスポーツそのものが蔑ろになっているからに違いない。
スポーツはナショナリズムの高揚に効果的だ。過去の治世者たちはそれを利用してきた。オリンピックも例外ではない。その姿はスポーツ映画の原点とも言える名作「民族の祭典」を見ればよく分かるだろう。ナチスに利用された1936年のベルリンオリンピックが見事の映像美とともに描き出されている。今回の東京都オリンピックも、もし開催が決まれば、未だ権力欲を覗かせる石原都知事の首相誕生の大きなきっかけとなるだろう。

そんなオリンピック開催に向けての今後を、手放しで応援するか厳しい目で見つめるか。もう一度ぜひ考えてみてほしい。