最強プロモーション・心理コントロールの仕掛け人・プロデュース・ブランディング・集客コンサルティング
2005年11月11日
[スポーツライター上村智士郎の業界人独り言]◆ 第16回 ジェフ千葉優勝に想う。

 11月5日、ジェフユナイテッド千葉がナビスコカップ決勝戦で、現在リーグ戦で首位を走るガンバ大阪をP
K戦の末破り初優勝を果たした。チーム創設以来初のタイトルである。
 サッカーに縁の薄い方のために説明しておくと、現在日本ではJリーグ、俗称で「ナビスコカップ」と呼ばれ
ているJリーグカップと天皇杯という三つの日本一を決める大会が行われている。このうちJリーグは日本のト
ップチームがリーグ戦で日本一を競う大会で、このナビスコカップはJリーグ1部に参加しているチームが参加
するトーナメントの大会、そして三つ目の天皇杯はプロ、アマ、高校生までも含めたオープン大会で、80年以
上の歴史を持つ大会である。よくサッカーはいくつも大会があって分かりづらいという声を聞くが、リーグ戦と
カップ戦が平行して行われるのは、世界の主な国々では普通のこと。ただ日本のように三つの国内大会が平行し
て行われるは珍しい。

 さて、念願の初優勝を果たしたジェフ千葉だが、ここまでの道のりはあまりにも長かった。リーグ戦が始まっ
た93年の前期こそ10チーム中5位だったが、その後は徐々に低迷。3年連続して下部リーグ降格の危機にも
直面した。そのチームの勢いの無さと比例するかのように観客動員も低迷。1990年代後半には1試合平均観
客動員数が全チームの中で最低の5〜6000人台を繰り返した。その原因のひとつにスタジアムのあるホーム
タウン千葉県市原市から50キロも離れた浦安市に練習場や事務所などの拠点を置いていたことがあげられてい
た。その問題も2000年に練習場を移転して解消した。だが、やはり観客動員は伸び悩んだ。
 その年、当時のジェフの岡健太郎社長にこんなことを聞かれたことがある。
「上村さん、どうしたらお客さん来てくれるようになるかな?」
 すかさず私は
「チームを強くすることだと思います」と答えた。
 当時の私にはそれだけしか思い浮かばなかった。
 そのシーズンオフ、岡社長は、チームの親会社で自らの出向元である古河電工の好景気を背景に、自ら陣頭指
揮を執って積極的な補強を行った。そして翌01年の前期にはいきなりチーム最高位の2位、年間でも3位につ
け、翌02年こそ中位に甘んじたが、03年には現在の名将オシム監督を向かえ、再び前後期に渡って優勝争い
を繰り広げた。
 確かその年の夏のことである。スタジアムの入り口で退任間近の岡社長に偶然お会いした。キックオフ直前で
二人とも早足だったが、その時岡社長はこんなことを言った。
「上村さんが強くすればお客さんが来てくれるって言ったから強くしたけど、やっぱりお客さんは来てくれない
よ」
 そう言って彼はすぐに私から離れていった。
 この年のジェフの観客動員は一時の最悪な状況からは抜け出したものの、1万人を割り全チームの中でやはり
最低のまま。その状況は昨年も変わらない。チームとしてはいつでも優勝を臨める体制を作り上げたが、未だに
17000人のホームスタジアム、市原臨海競技場を満員にすることができないでいるのだ。
 今ならこう言っただろう。
「お金の半分を選手の補強に使って、残りの半分で優秀な営業を雇いましょう」
 あの時の私にはそのことが分からなかった。

 今年ジェフはホームタウンを市原の隣、100万人都市の千葉市にも広げ、チーム名をジェフ千葉と改名した
。そして10月には待望のサッカー専用の新スタジアム「ふくだ電子アリーナ」もオープンした。その新スタジ
アムで久し振りの岡前社長とお会いした。
「あの時にこのスタジアムができていたら・・・?」
とお聞きすると
「いやいや、やることは変わりませんよ。これからが大変でしょう」
 きっと、もう言い訳は許されないという意味だったのだろう。実際お披露目の試合こそ満席となったが2試合
目からは早くも空席が目立っていた。
 今回の優勝がきっかけに新スタジアムが、ジェフのチームカラーに染まることを願って止まない。

*************************************

●上村智士郎 さん●

Jリーグチームの応援番組の演出や、CS放送のサッカー中継のディレターを手がける一方、サッカー 専門誌をはじめ各種スポーツ雑誌、スポーツ紙、インターネットサイトに記事を掲載。またスポーツ系インターネットサイトや選手のホームページのプロデュースも行う。現在は女性向けスポーツ情報フリーペーパー「ABUSOLUTELY SPORTS」をプロデュース。

S.blend Inc 代表取締役

**************************************